手取り12万円だった契約社員時代。私の節約生活はここから始まった

就職氷河期。正社員になることを甘く考えていた20代

大学4年の春、就職活動を始めました。

当時はいわゆる就職氷河期。

「フリーター」という言葉もすでに身近なものになっていて、正社員にならない働き方も当たり前というような空気がある世の中。

今のように、スマートフォンで簡単に企業の情報や他人の就職体験を調べられる時代でもありません。

就職活動を取り巻く環境そのものが、今とはかなり違っていました。

そんな中、何社か採用試験を受け、ようやく1社から内定をもらいました。

ただ、その頃の私は、大学卒業後に地元へ戻るか、そのまま大学のある地域に残るかを決めきれていませんでした。

一度入社してから、「やっぱり地元に帰ります」と短期間で辞めることになれば、採用してくれた会社にも迷惑をかけてしまう。

こんな中途半端な気持ちの自分が採用されることで、他の就職試験を受けた人たちのチャンスを潰してしまう。

そう考えて、最終的には内定を辞退しました。

その後、私生活で大きな出来事があり、地元には戻らず、その地域に残ることを決めます。

結果として、就職先が決まらないまま大学を卒業しました。

大学で学んだことを仕事にしてみようと思った

大学卒業後はアルバイトをしながら、別の採用試験にも挑戦しました。

しかし結果は不採用。

そこで私は、一度は諦めた大学で学んだ専門分野の仕事に再挑戦を決めます。

ある会社が正社員の営業職を募集していたので応募しました。

ただ、私がやりたかったのは営業ではなく、大学で学んだ知識を生かした設計の仕事。

面接で「大学で学んだことを生かして、設計の仕事がしたい」と伝えたところ、

その会社から「契約社員でもよければ、設計の職種で来ませんか」

と、ありがたいお話をいただきました。

その際、将来的には正社員登用も考えているという説明もありました。

正社員ではないことには少し迷いましたが、それでも、

「やりたい仕事で将来正社員として働ける可能性があるなら、まずはやってみよう」

と思い、契約社員として入社することを決めました。

これが、私の本格的な会社員生活のスタートでした。

仕事のやりがいを感じる日々

入社してからは、CADソフトの使い方や設計に必要な知識を、仕事をしながら覚えていきました。

最初は分からないことばかりでしたが、少しずつ一人で仕事を任せてもらえるようになりました。

自分が設計したものが実際に出来上がったときの達成感は何にも変えられないほどの感動を覚えました。

やがて、大規模な商業施設などのプロジェクトにも関わるようになります。

大学で学んだことを仕事にできている実感も、やりがいもありました。

ただ、当時の生活は非常に厳しいものでした。

手取り12万円。昼食に使えるのは200円

一番大きな問題がお金でした。

当時の手取りは、月12万円ほど。

今の感覚でもかなり少ないですが、当時の私にとっては、その金額で毎月生活していくしかありませんでした。

手取り12万円から家賃6万円を払います。

そこから光熱費や食費、日用品など、生活に必要なお金を払っていきます。

当然、自由に使えるお金はほとんど残りません。

そんな生活の中で、私が昼食に使えると考えていた予算が、

1日200円でした。

100円のカップラーメンと100円のおにぎり

当時の定番ランチは、

100円ほどのカップラーメン+100円ほどのコンビニおにぎり。

カップラーメンはできるだけ安いスーパーで買い、会社に持って行っていました。

なぜこの組み合わせだったのか。

理由はとても単純です。

200円で一番お腹が膨れたから。

「毎日カップラーメンでは栄養が偏る」

「健康のために食事にはある程度お金を使った方がいい」

今なら当然そう考えると思います。

でも、当時はそんなことを考える余裕がありませんでした。

健康よりも「どうすれば少ないお金でお腹いっぱいになれるか」の方が重要でした。

節約のために200円の昼食を選んでいるというより、

200円の昼食しか選べなかったのです。

フルタイムで働いているのに、生活には余裕がない

毎日会社へ行って、朝から夜遅くまで仕事をこなして、給料をもらう。

それでも生活にはほとんど余裕がありません。

「働いて給料をもらっているんだから、この給料で生活するしかないんだ」

「公共の支援は働けない人しか受けられないんだ」

くらいに思っていました。

会社を辞めた後になって、働いていても収入や資産など一定の条件を満たせば、公的な支援を受けられる場合があることを知りました。

実際に当時の私が対象になったかどうかは分かりません。

ただ、そんな制度があること自体を知らなかった。

この経験は、私のお金に対する考え方に大きな影響を与えました。

自分から調べなければ、誰かがすべて教えてくれるわけではない。

それ以来、「知らないというだけで、お金を失うことがある」ということを知りました。

投資でも税金でも社会保障でも、自ら情報を拾っていくことの重要性を知ったきっかけでした。

節約しても解決できない問題がある

手取り12万円でも、節約すれば何とか生活することはできました。

固定費を抑える。

食費を抑える。

なるべく電車には乗らずに移動は自転車。

無駄なものを買わない。

使えるお金の範囲で生活する。

こうした習慣は、この頃に身につきました。

そして、今の資産形成にも間違いなく役立っています。

でも同時に、今だからこそ分かることがあります。

どれだけ頑張っても節約だけでは限界がある。

当時の私はまだ「収入を増やす」という考えを十分に持っていませんでした。

とにかく使わない。

ひたすら支出を減らす。

それで何とか生活していました。

そして、日に日にこの節約生活に限界を感じ始めていました。

このまま契約社員のまま30代を迎えるのか

お金の問題だけではありませんでした。

上司からの仕事の評価も良く、社員になれる基準は満たしていました。

入社したときには正社員登用の可能性があるとも聞いていました。

だからこそ、

「これだけ仕事ができるようになれば、いずれ正社員になれるだろう」

と思っていました。

私からも何度か正社員になりたいと伝えました。

しかし、待っても待っても、その話が具体的に進むことはありませんでした。

仕事は増える。

責任も増える。

経験も増える。

でも、何も変わらない。

努力や仕事の成果だけでは変えられない、自分ではコントロールできない要因が存在しているのを感じていました。

次第に「このままここにいても、ずっと契約社員なのではないか」

年齢を重ねれば、正社員への転職はもっと難しくなるのではないか。

自分の社会人としてのキャリアを考えると、将来への不安が日に日に増していきました。

いつかは、自分だけではなく、大切な人の生活も支えられるくらいになりたい。

そんな思いもありました。

とても大好きな仕事でしたし、大学で学んだことを生かせることにやりがいを感じていました。

それでも、

「ここに居続けることの方がリスクなのではないか」

と考えるようになりました。

このような状況になったのは、就職活動に失敗した私自身の責任ということは理解しています。
これは自分の行動が招いた結果です。

でも、過去は変えられません。

未来を変えるしかない。

そう思い、私は会社を辞めることを決めます。

手取り12万円時代が、今のお金の感覚をつくった

当時の私は、FIREという言葉を知りませんでした。

投資もしていません。

資産1億円なんて、考えたこともありませんでした。

目の前の1か月を、手取り12万円でどうやって生活するか。

それだけで精いっぱいでした。

でも、この頃に身についたものがあります。

収入が増えても、簡単には生活水準を上げないこと。

必要のないものにお金を使わないこと。

そして、

お金について、自分で調べること。

今の私の資産形成の土台には、この頃の経験があります。

ただし、今は当時と同じような節約をしたいとは思っていません。

健康を犠牲にしてまで食費を削ったり、大切な人との時間まで我慢したりするのは、私が目指している生活ではありません。

だから今の私が目指しているのは、

節約して、投資して、それでも使いたいところにはちゃんとお金を使うこと。

ブログのタイトルにもしている、

「投資して、節約して、たまに贅沢。」

という今の考え方の原点は、もしかすると手取り12万円だったこの頃にあるのかもしれません。

次の記事では、この会社を辞めたあと、初めて本気で将来を変えようと動き始めた頃のことを書いてみようと思います。

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